歴代住職

■南北朝時代

 初代  貞満 建武 二 一三三五没
 開基  了徳 永和 二 一三七六没

戦国武将・京極高氏(法名 道誉)の弟 京極貞満が、この春照の地に邸を構えます。後代の了徳は、万感あって剃髪し、天台宗清滝徳源院に属する僧侶となりました。これが善楽寺の寺門としての開基です。

■室町時代

  二 高則 明徳 二 一三九一没
  三 宗人 永享 四 一四三二没
  四 宗春 享徳 元 一四五二没
  五 宗庫 文明一三 一四八一没
  六 宗隆 永正 八 一五一一没
  七 道義 天文二〇 一五五一没
  八 貞山 文禄 四 一五九五没

文明一八年(1486)第六世宗隆は、長沢福田寺にご逗留にあられた本願寺第八代宗主蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗しました。

■江戸時代

  九 宗賢 寛永一九 一六六〇没
 一〇 誓賢 元禄 八 一六九五没
 一一 周海 享保 元 一七一六没
 一二 賢堂 享保一三 一七二八没
 一三 観堂 延享 元 一七四四没
 一四 察堂 天明 八 一七八八没
 一五 了賢 天明 九 一七八九没
 一六 慈教 天保 五 一八三四没
 一七 天錫 天保 九 一八三八没

■明治時代

 一八 空賢 明治二二 一八八九没
 一九 霊諦 明治四四 一九一一没

第一八世空賢法師は、天保一四年より明治七年に至る三〇余年、寺子屋教育に力を注ぎ、郷民の学習をすすめた人物として評されています。漢学に明るく能書家でもあり、名声は内外に聞こえたといいます。明治二二年八一歳の往生でありました。後に門弟により顕彰碑が建てられています。「浄暁院釈空賢法師之墓」がそれです。

■昭和~令和

 二〇 義諦 昭和 五 一九三〇没
 二一 諦心 昭和三七 一九六二没
 二二 了諦 昭和四七 一九七二没
 二三 哲心
 二四 真英

第二一世諦心法師は、東京高輪仏教学院で仏教を学び、明治後期に開教師としてアメリカのスタクトン(現在のサンフランシスコ)に渡ります。渡米して十数年の後、住職後継者であった兄が病魔に倒れ、その知らせを聞いた諦心法師は、大正五年(1916)坊守とアメリカで生まれた娘を連れて帰国します。住職となった諦心法師は、その後、神戸商船大学校で教鞭を執りつつ、当山で門信徒や子供たちに仏教の教えを広めると共に、自らも宗学に勤しみました。その現れが境内南側に建立された経堂です。

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