お寺の歴史

善楽寺は、南北朝時代(十四世紀)戦国武将・京極高氏(法名 道誉)の弟 京極貞満が、この春照の地に邸を構えたことにはじまります。後代の了徳は、万感あって剃髪し、天台宗清滝徳源院に属する僧侶となりました。これが善楽寺の寺門としてのはじまりです。

室町時代中期になると、文明一八年(1486)第六世宗隆は、長沢福田寺にご逗留にあられた本願寺第八代宗主蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗しました。明応四年(1495)には本願寺第九代宗主実如上人より開基仏を受けたといいます。天保年間の文書によると、明応七(1498)年、蓮如上人眤近の門弟であった空善法師によって一宇の礎を築かれたともいわれています。その後、慶長一〇年(1605)寺号を田中山善楽寺と称し、本願寺(京都)より木仏本尊並びに宗祖御影の帰参申替がなされたようです。

こうして当山善楽寺は、浄土真宗本願寺派に所属し、今日に至っています。しかし、慶長年間に下付された親鸞聖人御影の裏書には、教如上人の署名並びに花押があり、さらに慶安元年(1648)下付の蓮如上人御影の裏書には、宣如上人の花押があったことから、本願寺の東西分派直後は、一時大谷派に属していたようです。

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